松林から茜色が溢れる
自然と歩くスピードが上がっていき
最後は小走りになっていた
「やっときたんだ、ここに」
グランドキャニオン国立公園
それはあまりにも有名な国立公園で
アメリカに来る観光客のほとんどが訪れるといっても過言ではない。
グランドキャニオンの景色は行ったことがない人でも
イメージできるくらい有名であり、壮大な写真が惹きつける。
ぼくがグランドキャニオンをどこで初めて知ったのか覚えていないが、
いつの日からか、「行きたい」と強く思っていた。
尊敬する旅人、星野道夫さんも高校生のとき
ヒッチハイクでアメリカを横断中に訪れている。
何十年の時を経て、ぼくは追いかけるようにここにやって来た。
ちなみに、このグランドキャニオンも
ジョンミューアの努力によって国立公園に指定され、開発を免れた。
ヒッチハイク、バス、もう一度ヒッチハイク。
楽しいことばかりじゃなかったけど
(アメリカ・ヒッチハイク編参照)
ここに来るまでの道のりを思い出すだけで
グランドキャニオンに訪れる夕暮れはいっそう美しく思えた。
いや、ここに来るまでの出来事が
夕陽を輝かせてくれていた。
ぼくの眼を輝かせてくれた。
すべての出来事が、この夕陽によって意味を成してくる。
すべての出逢いが、この夕陽を見せてくれたのだ。
ベンチには老夫婦が肩を並べて、眩しそうに
それでも見逃さないように眺めていた。
「wonderful beauty」
知らない国から来た誰かがつぶやいてビールを一気に飲み干した。
「あの美しい谷をこれから君は歩くんだね」
victorvilleで出逢った青年(アメリカ・ヒッチハイク編②参照)が
遠くを見ながらしみじみ言っていったのを思い出す。
きっと、誰にとっても世界の美しさは宝物なんだろう。
そして、いつの日でも思い出せる想いを旅人に遺すのだろう。
自然の美しさは、誰かの物語によって生み出され
自然の偉大さもまた、誰かの物語によって証明される。
この日のノートにはこう記されている。
『この孤独の旅路はうす暗くて、深く入り組んでいる。
それでも僕は進むのさ 少し先までいつも誰かが照らしてくれるから
ときにはなくことだってあるさ 暗闇で立ちすくむことだってあるさ
それでも僕の涙を光らせてくれる人がいるんだ
それでも僕の背中を押してくれる風景があるんだ
どこまで行けるかな どこまでも生きたいな
Stop and Go ,Up and Down ,Try and Error
繰り返していくんだ 世界の果てが見えるまで
あきらめず行こうか 僕の時間が無くなるまで』
まだまだ、旅は続きそうだ。