僕ははじめて砂漠を知った。
旅に必ず持っていくサンデグジュペリの『人間の土地』に出てくる砂漠は
僕にはとてもとても遠い存在で想像すらできなかった存在。
それを僕は初めてアメリカで知った。
ジョン・ミューア・トレイルの終盤
老木・奇木・枯木に誘われるがまま
白い砂漠に足を踏み入れる。
草木がなにひとつ存在できない自然。
ルビー色したひとりぼっちの湖が僕を見つめている。
ブラックバードが落としたひとつの翼
足元に見つけた唯一の黄色い花は
今にも悪魔の太陽に焦がされそうだ。
『砂漠に咲く花は 出逢いの奇跡をよく表している』
ヒッチハイクで砂漠の真ん中の街にやってきた。
8時間も車が捕まらず、マジ泣きした街。
町と町の間に砂漠があるんではなくて
大きな砂漠の中に小さな町が点在している。
アメリカの歴史は荒野と砂漠に街を作ること。
ただ、車も飛行機もエアコンも
砂漠から一時的に逃げることしかできなかった。
すぐ横にいながら、誰も本当の砂漠を知らなかった。
『砂漠に落ちていく夕陽を覚えているかい?
きみは両目に涙をためて、眩しそうだった
誰も知ることなく生きて死んでいく
砂漠の涙はそんな味がしたのさ
覚えているよ
砂漠に溢れる雫を、どうしようもなくあふれるオアシスを』
グランドキャニオンもセドナも街を少し離れると砂漠が広がっている。
ガラガラヘビとサボテンの間を歩いていく。
のどの渇きが限界に達して、口の中が固まっていく。
砂漠の上の太陽はいつも、恵みではなく悪魔そのものだった。
やっと、たどり着いた川の水は生活排水で汚染されている。
大自然を旅して都会に帰ってくるたびに
僕はとても違和感を感じる。
サンフランシスコもロサンゼルスも、
地図に載っているすべての街も
それは街の形をした砂漠だった。
砂ではなくてアスファルトで固められた砂漠。
木々はアスファルトに囲まれて、土はアスファルトに覆われて
そこに多様性生物が織りなす偶然と必然という自然の本来の姿はない。
それでも人々は砂漠を制したと勘違いしながら
砂漠の上に砂漠を作り、森を崩し砂漠を作る。
それはアメリカだけの話じゃないのだ。
僕の国でも同じことが起こっている。
ありのままの自然を破壊し、人間が自ら砂漠を作り出している。
サンデグジュペリはどこまで砂漠を理解していたのだろう。
「人間の土地」はいつもこの旅を、この人生を深く豊かにしてくれる。
逆にこの砂漠の旅が、この人生が、この小説を深く豊かにしてくれる。
旅の終わりに小説を読み終え、アメリカの旅を振り返った。
そして、ノートにこう書き記した。
『砂漠を知るということは
ありがとう(有難う)の本当の意味を知ることだった』