茶畑の写真を撮ろうと思って仕事先に持って行ったとき
「俺を撮ってよ!茶畑のなかで働いている写真が一枚もないんだ」
それはとても嬉しい言葉だった。
普段、ほとんど人物を撮らない僕は
あまり人から写真を撮ってほしいなんて言われることもない。
実は自信がなかったんだけど(笑)
時間はたっぷりあったから、
いろいろ試しながら撮ってみることにした。
「撮った写真を見せてよ!」
そうなんだ
誰も自分が働いている様子を見たことが無くて
普段見慣れた景色も新鮮な景色に写るようで
うれしそうに眺めていた。
人が全く写っていない茶畑もきれいな景色だけど
生業としての茶畑はまた趣の違う美しい景色だった。
自分の中で新しいドアを開けたような感覚だった。
「遺影の写真にするか!」
遺影の写真にしようなんて思って写真は撮ったことないけど(笑)
それでも、その人がその人らしい写真を撮れたことが嬉しかった。
仕事中のみんなの写真
共同生活の様子を撮った写真
休日に遊びに行った写真
今まで旅してきた写真
僕はお喋りが上手なわけでもないし、
面白い話が出来るわけではないけど
カメラ一台で会話のネタになる。
グランドキャニオンの谷底でも、ネパールの山奥でも
それは世界中どこでも同じ。
そして、写真は日を経つごとに変わっていく。
まだ、撮り始めたころはカメラの先に写る人とも、この景色(町)とも
関係が築けていないからどうしても薄っぺらい写真になる。
でも、人と人がつながり、人と景色が繋がると写真に深みが出てくる。
渾身の一枚を見せると人は笑顔を浮かべる。
それもまた、世界中どこでも同じ。
その笑顔を見て僕も嬉しくなる。
何度もここで言っているかもしれないけど
僕にとって
カメラは自己表現ツールではなくて、コミュニケーションツールなんだ。