<北アルプスの玄関口 日本の登山道>@中房温泉~燕岳 2022.10.3~4 1日目
北アルプスの女王と呼ばれ、北アルプスの玄関口でもある燕岳(つばくろだけ)は
おそらく登山愛好家にとっても、なんちゃって登山家にとっても多くの思い出の地だろう。
それくらい多くの人がシーズンになると遠くから足を運ぶ。
日帰りもできるし、1泊2日や2泊3日かけて北アルプスの中心地まで入り込む事ができるこの道では
今回の山旅を多くの登山者とともに歩き、そしてすれ違った。
それぞれの荷物の量がそれぞれの旅を物語っている。
明治時代に入ってから、欧米のアルパイン文化の影響で拓かれると人々が足を踏み入れた北アルプス。
その足がかりとなったのがここ燕岳への道で、その足元にそびえる燕山荘は1919年に建てられた。
この燕山荘からは北アルプスの主要の峰がどっしりと構えている。
そのときからずっと登山愛好家にとって、このルートはまず最初に来るところで、そしてこれからの登山を思い浮かべる場所となったのだ。
つまり多くの北アルプスラバーにとってここはまさに「はじまりの地」なのである。
今回の旅もまた同様に、登山を始めたばかりで、初めて北アルプスに入り、そしてテント泊も初の人とのガイド旅だった。
大きな荷物を担いで山に入るという経験はほとんどの人が初めてだろう。
だから、俺の山岳ガイドではバックパックングのコツから歩き方のコツやスピードなども教えている。
登山道は日本の登山道らしくずっと尾根伝いに登っていく。
海外のトレッキングのように峠に向かってゆるい登りと下りを繰り返すことはない。
ひたすら少しずつ標高を上げていく。だから、水場も少ない。
登山を始めた頃からそれがずっと不思議だった。
多少距離が長くなっても水場が多いルートの方が登山家にとって都合が良いはずだからだ。
登山文化がこれだけ発展した現代でも、食糧や道具類は軽量化に成功したが、水だけは現地で獲得する以外は生の水を運び上げるしかないのだから。
多くの山小屋もまたポンプを使って大量の水を汲み上げている。
なぜ日本の登山道が水があまり取れない尾根伝いをベースに拓かれていったのかは日本の独特な気候と地形にある。
日本は世界的にも珍しいほど急峻な地形で、海から山頂までひたすら急勾配の山が続く。
そして、世界的にも珍しいほど一年中ずっと雨が降る。降水量は世界平均の約2倍だが、降るときは降るが降らないときは降らないという特徴もある。
つまりまとめると、日本は雨が降れば滝のように雨水が山を下っていくところなのだ。
海外から日本に旅行する人が「日本の川は滝のように流れる」というのは別に大袈裟なわけではない。
彼らからすれば日本人の川は世界の滝に当たるほど急流ということになる。
急峻な斜面は標高を上げるほど急勾配になる。そのせいで地表面を流れる水が削る力も強くなる。水はあらゆるものを砕いて海まで流れていく。
日本の地形の特徴の一つに尾根と谷が短く、そして複雑に並んでいる点もある。
これはいくつものプレートが衝突したことで隆起し、日本列島が形成される過程で生まれたもので、言葉で説明するのが難しい。
その様子を解説するのに分かりやすいのが、テーブルクロスをいくつかの方向から中心に向かって押していくと、複雑な形をしたうねうねがいくつもできる様子が見て取れる。
尾根は水を分散させるが、谷は水を集める。
こうして集められた水が沢となり、湧き水となり、合流して河川となるのだが、この谷と河川に沿って道を作るのが難しいのはよく分かるだろう。
現在でも釣り人が鉄砲水によって流されてしまうケースが後を絶たないように、谷沿いというのは河川の氾濫が多く、リスクが高いのだ。
現在復興中の伊藤新道という北アルプスの幻のルートがそうであるように、崩壊と復興が続くため登山ルートとしてはあまり最適ではない。
ときに台風や大雨によって崖崩れが発生し、通行不能となる登山道がある。
その崩落箇所はほとんど間違いなく、谷である。
登山ルートの中で山頂を目指さない人向けの「巻道」というのがあるが、この道の多くも谷の崩落によって道が通行不能になったり、危険な箇所が続いたりする。
生命の源である水が多い日本は生物多様性に恵まれている。
日本の山小屋が少し山頂から下ったところにあるのは、その地下から水を汲み上げる事ができるからだ。
ほんの数百M降りただけのちょっとした谷や窪地に多くの登山客に提供できる水が集まっている。
だから、登山客は重たい水や食糧を自力で持ち上げなくても気軽に登山を楽しめるのだ。
しかし逆に水は多すぎるとすべてのものをなし崩してしまう。
水は岩石を削るだけではなく、あらゆる生命の命も奪ってしまうのだ。
河川の上流に岩がむき出しているのは水が多すぎて生命がそこに存在できないからだ。
山に入ると生命が全くいないところがある。
それが登山道そのもの自体である。
人間もまた多くの人が足を踏み入れる事で、大地をそこにいたはずの生命ごと削っていく。
ときに登山道が1m以上も左右の地表面よりも凹んでいるのは、人間が削ってできた窪みの道を雨水が通ってさらに削って、
そしてまた人間が削った証拠である。
ときに登山道の両脇の木々が伸ばした根っこがむき出しになったところがあるだろう。
そこはもともと土だったのが、人間と水によって削られてしまったのだ。
しかし木の根がそれ以上の侵食を許さない。そのおかげで人間は歩いていける。さらにありがたいことに登山道が通行不能にならない。
燕岳の登山ルートには人間の手によって整備されている箇所が多い。
それは多くの人が足を踏み入れているからに他ならない。
森林の生命が持つ回復力・レジリエンスを人間と水の破壊力が上回っているためだ。
そのままでは崩れる一方だから、人間たちの手によって階段を作ったり土留めを整備したりしている。
これが良いのか悪いのかを議論したいわけではない。
ただ人間はこれほどまでにして、どうやら山に登りたいようなのだ。
山に入るたびに、いろんな生き物と出会うのだが、
人間のように自分の体重の3分の1ほどの荷物をわざわざ担いでいる生命はいないし、山頂を目指す生命もいない。
森林限界を超えれば、人間にとっては危険な環境となるにも関わらずだ。
そして、その命の危険さを乗り越えて山頂にたどり着くことが欧米文化においての登山という冒険だった。
北アルプスが明治以降に拓かれた理由はまさに冒険のためだった。
古来から日本には山岳信仰や登拝、富士講など神道系にも仏教系にも宗教の中で山に入って登ることはあった。
しかしそれは特別な事情であり、休日を過ごしたり余暇を楽しむためのものではなかった。
娯楽としての登山は日本では明治以降の習慣だが、もう100年ほどの歴史がある。
しかし冒険から娯楽になったのは1960年代以降のアウトドアブーム以降だろう。
それによって一つの経済圏が成立するほどに一般人にもその魅力が伝わっている。それなりの都市に行けば登山用品店があるほどまでにこの経済圏は成長した。
登山愛好家も集まれば、どの山がいいだとか、次はどこに行こうかと話に花を咲かせることになる。
山をキーワードに人と人が深く交流できるのだ。そしてその話題の中心となるのはやはりこの北アルプスだろう。
どうしてそこまでして山に登るのか。
その答えとしてよく「そこに山があるから」と言う理由は使い古された感じがあるが、結局のところよくわからないに違いない。
山登りが辛くて嫌いと公言している私でさえ、山頂に立てば登って良かったと漠然とつぶやくのだから。