くじゅう連山 今までの自然が通用しないところ

<くじゅう連山 今までの自然が通用しないところ>

@黒岳原生林・九重連山 2023.05.28

 

それが原生林だ。

 

私たち現代人が使う「自然」という言葉には原生林が含まれていない。

それが私が原生林の旅を続ける理由であり、みなさんを原生林に誘っている理由でもある。

 

自然農も、パーマカルチャーも、大地の再生も、雑草の知恵も原生林では通用しない。

これはあくまでも「里山の自然」であって「原生林の自然」ではないからだ。

 

現在、地球に残っている原生林は人間にとって「無意味」で「無価値」なところがほとんどだった。

開発したところでお金にもならなければ、利用するアイデアもなかった。

だからこそ、何も手をつけることがなく、そこに残った。(他にも宗教が守った聖地もある)

 

そのため原生林に行くと戸惑ってしまう。

里山にはない自然の論理が私に迫ってくる。

 

それは「圧倒されるような」とか「厳かな」という表現に近い。

宗教家たちがそこを守り、そこに通うことで「畏怖の念」を持ち続けた意味もよくわかる。

 

里山の自然は「優しくもあり、厳しくもある」ものだが原生林の自然には「厳しさ」しかない。

里山の自然は「すべてを包み込む」懐の深さがあるが、原生林の自然には「すべての呑み込む」妖しさがある。

 

ときに私は深い原生林にたどり着いたとき、怖いほどに時間を忘れてしまう。

いや、時間の感覚を奪われてしまう。

時計の針だけが里山の時間を刻む。

私たちの身体に流れる時間の感覚は奪われてしまう。

 

だから私は原生林に行くと「死ぬ」ことを深く深く意識させられてしまうのだ。

そして、それと同じくらい「生きる」ことを深く深く無意識に刻み込まれてしまう。

 

九重連山の端に位置する黒岳はその原生林にふさわしい深山だった。

ときに「黒獄」という字が当てられるだけの厳しさがあった。

私は原生林を旅することの覚悟を再認識した。

 

日本の原生林には陰と陽の世界がある。

その原生林によってその趣はそれぞれだからこそ、旅をする価値がある。

 

九重連山の黒岳原生林は深い陰だった。

それゆえに私たちの陽を刺激する。

 

今年の原生林の旅の舞台である奥大山は陽の世界が強い。

それゆえに私たちの陰を刺激するだろう。

そこで私たちはいったいどんなことを覚悟するのだろうか。

それは旅した人だけにしか分からない。

 

原生林に行かなくても生きていけるだろう。

しかし原生林の自然を味わった人には何かが刻まれる。

そしてそれはいつの日にか、あなたの前に形を持って現れるだろう。

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大学卒業後、国内国外旅してきて

 

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