ハイマツという物語

<ハイマツという物語>

@富山県・立山三山 2023.9.24

 

冷たい空気が寝袋からはみ出している顔を突き刺す。吐く息が白く、息の水蒸気が寝袋の入り口で凍りつく。テントの外に出なくても、天気が良いのが分かる瞬間だ。山では雨の日よりも晴れた日の方が放射冷却によって寒い。

 

意を決して寝袋から出るとすぐに着替えて、テントの外に出てトイレと水汲みに出かける。どちらも近いのが雷鳥沢キャンプ場の良いところでもある。見上げれば、見渡せば昨日の厚い雲の中が嘘のような晴れ間が朝早くから広がっているのが見える。

 

ありがたいことにトイレと水汲み場には週間天気予報が掲示されている。その天気予報によれば今日と明日の天気は良い。特に今日は。

 

気分が高揚してくる。なぜなら今日は雄山、つまり立山で一番標高の高いところまで行くからだ。もうすでに朝陽を見るために山の斜面を登っている人たちが遠くに見える。その跡をすぐに追いたくなる気持ちを大切にしながら、テントに戻り朝食の準備に取り掛かる。

 

テントのフライシートはパリッパリッと凍っている。その中に戻り、前室の部分で湯を沸かし、まずはコーヒーを淹れ、水筒の中にしまう。そして、再度湯を沸かし、味噌汁を仕込む。私の朝ごはんは里山でも高山でも味噌汁に決まっている。もちろん手前味噌だ。

 

暖かい味噌は胃腸を優しく暖めてくれるばかりか目を覚ましてくれるし、元気がもらえる。特に手前味噌を作り出してからはそれを強く実感する。だからたとえ重くてもタッパーに入れて山に持ち込む。

 

朝食の相棒はお米だ。前は白米のアルファ米に乾燥具材と調味料を入れて炊き込みご飯にすることが多かったが、最近は味噌汁を多めに作っておいて、途中で入り玄米を入れて再度火を入れてお粥にして、とろろ昆布や鰹節をかけて食べるようにしている。

 

最近のキャンプブームで多くのキャンプ飯が紹介されているが、山に籠る時はどれだけ荷物を軽くするかとどれだけ豊富な食材を持ち込むかを天秤にかけながら選ぶ。流行りのキャンプ飯のように私はあまり豪華にしないのは、消化に良いもので少食にした方が長く歩けるということが分かってきたからだ。もちろん、これには個人差があるので自分にちょうど良い量と質を考えてもらいたい。

 

今日は朝から立山三山を目指して登っていく。立山という山はなく、雄山・大汝山(最高峰)・富士ノ折立という三つの頂きを総称して立山と呼んでいる。

 

雷鳥沢キャンプ場は東側に立山三山があるため、朝陽が昇ってくるのが遅い。高山地帯とはいえ太陽光は強いので、陽が当たれば一気に大地も身体も温まるのだが、それを待っていては遅くなりすぎてしまう。しかも、今日のルートは雄山につながる尾根までの登りはずっと日陰になる。

 

そのために暖かいコーヒーを水筒に入れた。それと昼食と行動食を持って、日帰り用のザックを担いでスタートすることにした。

 

またキャンプ場の横を流れる川を渡り、今度はすぐ右側に曲がる。そして、そそり立つ急な斜面をスイッチバックを繰り返しながら登っていく。昨日の夕方にマジックアワーで赤く染まった斜面を登っていく。

 

歩いてみれば染まった理由がよく分かる。道の左側は白い花崗岩のガレ場だ。道の右側はハイマツが斜面を覆っている。このルートはガレ場とハイマツの縫い目に沿って歩いていく。上に登れば登るほど、この斜面がいや立山雄山自体がガレ場とハイマツ林がモザイク状に連なっているのが分かる。

 

上に行けば行くほど冷たい強い風が身体にぶつかる。休むときはハイマツが作り出す小さなポケットに身体をすくめて風を避ける。冷たい風は防寒着を着ていても身体を一気に冷めてしまう。とくに頰に突き刺さる冷たさは防ぎづらい。

 

風は強いが今日は展望が良い。西側は富山の街までよく澄み渡って見える。熱いコーヒーをすすりながら眺める景色は絶景写真や動画では伝わらないものがある。

 

ときおり、ハイマツ林の影から黒い鳥が飛び立つ。ホシガラスだ。街や里山ではあまり好まれないカラスだが、そのカラスとは違う種であるホシガラスは登山家たちから愛されている。クルミやハイマツの実を好んで食べる草食性のカラスだ。

 

このハイマツの近くには昨日一緒に山を歩いたライチョウも住み着くが、彼らは晴れた日はあまり活動しない。代わって晴れた日はホシガラスがよく活動している。このまるで狙ったかのように入れ替わるのも面白い。

 

彼らは晴れると高度3000M以上にも平気で姿を現す。気持ちよさそうに風に乗って、楽しんでいるようだ。彼らの様子を観察しているとハイマツを好んでいるのがよく分かる。登山道からでも彼らが実をついばんでいるのが観察できる。

 

彼らがハイマツを好んで食べていることから分かるように、彼らはハイマツの種子散布に役立っている。そしてハイマツの種子は彼らと一緒に運ばれ、彼らが排泄するとともに栄養満点の肥料とともに散布され、そしてこの過酷で貧相な環境において成長する。

 

世界中にはいまだに人類が到達していない、つまり登頂を果たしていない山がたくさんある。その困難さの理由のほとんどすべてが足場が悪すぎるからだ。標高が高くなればなるほど、植物が成長ができないため、歩けば歩くほど足場が崩れていくのだ。だからこそ、エベレストを始め逆に雪や氷に覆われている山の方が登頂可能でもある。

 

このハイマツがこの高山地帯の大地を支えている。彼らは強い風と厚い雪に耐えるべくして、低く低く枝葉を伸ばし、純林を作り出すことで生き残る。そして根が崩れやすいがれ場そのものを掴んで離さない。そのためハイマツ林にホシガラスもライチョウも住んでいるのだ。

 

そして、私たちが山頂にたどり着くことができるのもまたハイマツのおかげだ。彼らのすぐ近くは足場が安定している。だから、決まって峠に向かう道の脇にはハイマツがある。いや、ハイマツの際を人々が選んで歩いているのである。

 

立山開山伝説の佐伯有頼は白鷹と熊を追いかけて、室堂の少し先にある玉殿岩屋までたどり着き、そこで阿弥陀如来と不動明王が現れ、開山するように導いたという。

 

日本全国に伝わる開山伝説にはこれと似たような話が多く残る。彼らはよくその地に住む動物たちの力を借りて、導かれるようにここまでやってくる。

 

これは仏教が動物を厚く敬い、神道がどんな生き物にも魂が宿ると考え、神仏習合したことでいろんな動物が神様の使いとして考えられていたことと無関係ではないだろう。

 

しかし私は今までの山籠りの経験から、古来から人々は動物の様子を観察して、彼らの後を追って開山に至ったのは決して伝説ではなく本当にあったのではないだろうかと思っている。

 

そう、私の推測だが玉殿岩屋から立山三山まではきっとライチョウとホシガラスが活動している様子を見ながら、ハイマツの際に沿って登っていったのではないだろうか。

 

ちなみにここからは推測の中の推測だが、おそらくホシガラスとライチョウをこの地で食べていた人も居ただろう。昭和初期まではライチョウも狩猟の対象であり、どうやら美味しかったようだ。またホシガラスは現在でもジビエの最高級食材として名高く、フランス料理にも利用されるという。

 

仏教家は無駄な殺生をしないとはいえ、狩人たちからすればご馳走がその辺を飛んでいるのだから、狙わないわけがない。

 

尾根まで登りきると、日本の山々の特徴でもある雄大でなおかつ険しい稜線が現れる。稜線歩きもまた登山家たちの楽しみでもあるが、やはり晴れているときが一番だ。風が強いので足を踏み外さないように注意しながら先へ先へ進む。

 

富士ノ折立の近くには夏季限定の山小屋が営業している。雄山まで行くと雄山神社峰本社が建っている。日本の山を登るたびにいつも感心する。こんなところに建物を作り、人が期間限定とはいえ住み着いているのだから。

 

この神社は1300年の歴史があるということは1000年以上、人が物資を運び続けてきたということだ。現代に入ってもヘリコプターやバスなどがあったとはいえ、最後は人力で運んでいる。

 

それもまた修行のようにも思えるが、現代ではビジネスである。その証拠と言ってはなんだが、この本社には晴れた休日には有名ラーメン店のような行列ができる。この本社の裏はもちろんハイマツ林が広がっている。

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大学卒業後、国内国外旅してきて

 

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ひとり旅をはじめてから

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